ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

このブログは、はてなブログで公開しているブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った サイクリングで駆け巡った彼との45年間』の「6.ニュー・ジーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1」を、別ブログとして作成したものです。

概略については、上記ブログの「4.三大サイクリングについて[2] (3)ニュー・ジーランド縦断(レインガ岬~スチュワート島)[1975.12.01~1976.01.03]」にて公開してありますので、併せて見ていただければ幸いです。

 

なお、「ニュー・ジーランド」の表記は一般的な「ニュージーランド」に変更してあります。

 

説明等が必要と思われるものについては、「※」印にて私(Mont Blanc)が記憶の基に作成しています。

 

[1]準備~出発まで

◎プロローグ

ニュージーランドでの最後の夜となった1976年1月9日の彼の日記には、

「本日で終わりなんて信じられないくらい早い42日間であったが、俺には随分プラスになったと思う。そして又、本当のN.Z.を知ったと思う。素晴らしい自然、素晴らしい人々Peopleである。俺は来て良かったと思うし、又 何時か必ず来たい国、それがN.Z.である。」

と記されている。

 

当時 日本からニュージーランドへの直行便は無く、シドニー乗継ぎでオークランド空港に降り立った日本人は、現地で家庭を持たれている男性のAさんと彼の二人のみ。

税関に向かう途中、Aさんから掛けられた言葉は「日本の方ですか」であり、この方の義父の車で彼と私はホテルまで送って頂いた。

 

◎はじめに

彼が1975年12月から翌年1月にかけて走行した際の日記と記憶により、当時作成した準備段階からの経緯です。

 

彼がサイクリングにおいて書いた日記はこれ一回のみで、「海外へ行く機会は二度と無いと思ったための記録」と言っており、「入国から出国まで良い思い出しかない」と彼は今も話している。

 

当時の海外旅行は、「高嶺の花であり、限られた人達の贅沢な旅行」と思われていたと彼は認識しており、飛行機に乗ること自体が贅沢で、彼は「一度は乗ってみたい」と思っていたが、「乗る事は無いだろう」と思っていた。

 

彼は、白馬製作所で輪行袋に入った私を手にした際に立てた「5つの目標」の内の一つ、「海外走行」を実現するためには金を貯めざるを得ず、体育会系の部活であるためアルバイトは出来ず、部活内においても最低限の付き合いしかせず、ひたすら倹約に努めていた。

彼の仕送りは月3万円だったが、寮生活のため「寮費に部屋代と腹一杯食べられる朝晩の2食が含まれていた事は大きかった」と話している。

ちなみに、親に了解を得る時点でも予定金額の半分も貯まらず、残りは親から借入だったが就職後に全て返却したとの事。

 

なお、部活は1ヵ月半の休部となったが、「同期はもとより、先輩方や後輩も気持ちよく送り出してくれたのが有り難かった」と話していた。

 日記を書いた2冊のノート(※2022.11.24撮影)

記載された日記の一部分(※2022.11.24撮影)

◎準備段階から出発までの経緯

(1)準備段階

時期については「部活の幹部交代が終わった11月以降」とした。

 

渡航に係る手続や航空券の手配については、旅行会社の「渡航手続料金」が彼にとっては高額すぎたため、全て自分で行い経費の軽減に努めていた。

 

諸手続きについては、成人していればパスポートなどの取得において親の承諾が不要な事から、予め住所を自宅から現住所に移動して対応。

 

費用については、航空運賃と外貨持出し制限額の合計として設定。

当時のレートは1米ドル300円ほど。

「外貨持出しは1,500米ドルが限度で約45万円、航空運賃の見積額が約55万円だったため100万円とした」と、後日に彼は言っていた。

1974年4月1日現在の渡航手続取扱料金(※2022.11.24撮影)

(2)準備の日程については次のとおり。

1975年9月25日以前

資料収集のため、大学の在る渋谷を中心に書店や旅行会社、デパートなどを回る。

ニュージーランド政府観光局あて資料希望の手紙を書き、日を待たずに同観光局より                  

 資料が送付される。

ニュージーランド政府観光局が渋谷にあった事から、授業の空き時間を利用して訪問

 し話を伺う。

 当時の政府観光局は大使館と同じ建物内にあり、詰襟の学生服姿で伺ったにも関わ  

 らず、特に訝る様子もなく資料室に通していただき、年配の女性の方が応対。

 担当の方は質問に対し丁寧に答えてくれたほか、絶対に聞かねば思っていた「野宿や 

 国立公園内における野宿やキャンプが可能か」との質問に対しては、逆に「日本では 

 どうですか」と聞かれ、実例を示した上で「問題になった事は有りません」と返す

 と、彼女は「そうであればニュージーランドでも問題ないでしょう」と返答された。

 このほか「往復の切符を有する事」、「種痘接種の証明書が必要」、「31日以上滞

 在する場合はビザが必要」、「ビザの取得には1ヵ月あたり日本円で10万円の所持

 金が必要」との事であった。

 

ニュージーランド政府観光局で聞いた話のほか、同局から送付してして頂いた「旅行代理店用マニュアル」及び「地図」と市販されていた1冊のガイドブックを基に計画を立て、作成した計画表と費用の借用依頼を父親あて郵送。

※「詰襟の学生服」について、彼は3年生だったため上着のみでズボンはスラックス。

※「借用依頼」については、航空券の予約における見積額が出てから金額を連絡。

※「ビザ」は「査証」のこと

※「種痘接種の証明書」はイエローカードと呼ばれていた

政府観光局の資料[左]と市販のガイドブック[右](※2022.11.24撮影)

政府観光局より送付された地図の北島[表面)](※2022.11.24撮影)

政府観光局より送付された地図の南島とスチュワート島[裏面](※2022.11.24撮影)

9月26日(金)

家より計画資料どおりでニュージーランド旅行許可の手紙が寮に届く。

 

後年 母から「手紙を読んだ祖父がすぐに『行かせてやれ』と言って決まった」と聞く。

ちなみに、明治生まれの祖父の考え方から「兄より先に弟が外国に行くという事は絶対に無理」と思っていただけに驚きは隠せず、前触れもなく いきなり手紙を受け取った時点での父母の気持ちを思うと意外な展開には驚くばかり。

 

9月27日(土)

日本航空 丸の内支店にて航空券予約。

(往路) 羽 田 ⇒ シドニーオークランド ⇒ カイタイア

     羽 田       ⇒ シドニー          日本航空

     シドニー      ⇒ オークランド     カンタス航空

     オークランド ⇒ カイタイア            NAC[※ファンガレイ経由]

(復路) オークランドシンガポール ⇒ 羽 田

     オークランドシンガポール         ニュージーランド航空

     シンガポール ⇒ 羽 田         日本航空[※バンコク、香港 経由]

 

当初の計画は、シンガポール航空を利用してシンガポール経由でオークランドに入る行程で作成。

しかし、航空券の購入ルールを知らないため同支店で「シンガポール航空の予約をしたい」と言うと、「最初に乗る便の予約はその航空会社でしか出来ないが、最初に使用する航空会社では以降が他社であっても全ての航空会社の予約が出来る」と言われた。

これを聞いた事により、その場で日本航空を利用してシドニー経由でオークランド入りすることに変更した。

この時点での見積額は約55万円であった。

 

なお、予約の際にオークランドのスペルを聞かれ、最初の文字を「O」と答えるも対象空港は米国にしかなく、職員が調べて「A」から始まることが分かった。

 

帰路については、一晩なれど直行便で羽田に戻れる国に寄って帰りたかったため、直行便があったタヒチニューカレドニア、ハワイの順で確認するも空席は無く、職員が「正月だし有るかなあ」と言いながら検索したシンガポールからの便に空席があったため立ち寄って帰国。

 

10月15日(水)

日本航空丸の内支店にて航空券購入 494,500円。

清算時に予約時との金額の差が大きい事から、担当職員は数回確認するも この金額で間違いないとの事だった。

 

なお、この日に東京中央郵便局にて貯金を下ろして そのまま持参し、同支店にて購入。

 

10月16日(木) 

神奈川県旅券事務所にてパスポート(数次)申請。

 

横浜検疫所にて種痘接種およびイエローカードと検印取得。接種代 750円。 

 

10月24日(金) 

神奈川県旅券事務所にてパスポート取得(収入印紙 6,000円)。

 

東京銀行内幸町支店にて外貨購入。

トラベラーズチェックにて1,070米ドル(1米ドル=302円20銭)。

トラベラーズチェックの場合1%の手数料が必要なため、支払ったのは1,080.70米ドル。

日本円 324,424円 + 手数料 3,244円で合計 327,668円

 

10月27日(月)

渋谷区神山町ニュージーランド大使館にてビザ取得(3ヵ月)。

 

11月13日(木) 

東京銀行内幸町支店にて外貨追加購入。トラベラーズチェックにて180米ドル。

 

11月28日(金) 

羽田空港内のの富士銀行支店にて現金250米ドルを購入して出発。

※親からの借入は、航空券が見積額より安価になったため55万円だった。

ニュージーランド縦断コース[1975.12.01~1975.01.03](※2022.12.07撮影)