[10]アルバニイ ⇒ オークランド
12月6日(土) 晴れ
今までで一番早い、午前7時半に出発。
当然の如くハミルトン(Hamilton)まで行くと思っていたのが、いざ着いてみるとワイテマタ湾(Waitemata harbour)を挟んだオークランド(Auckland)。
今、ユースホステルに居るが、今日は道を間違えた上に迷ったため50km余り走ったが、本来ならハーバーブリッジ(Harbour Bridge)を通っても 22~23kmの距離。
原因は、標識の指示通り進んでいたと思う1号線が知らぬ間にモーターウェイになっていた事から始まり、そこを走っていたところ警察官に注意され「『ハーバーブリッジは自転車の通行は出来ない』と知らされると同時に、親切にも向こう岸までの地図を書いてくれた」のだが……。
どこでどう間違ったのか、ハーバーブリッジの真下に着いてしまった。
一瞬 我が目を疑ったが どうにもならず、何とかなるだろうと思いパンとジャム、缶詰を食べながら、燦々と降り注ぐ太陽の下、ワイテマタ湾に浮かぶ無数のヨットとモーターボート、向こう岸にはオークランドのビル街と、絵に描いたような風景に見とれていると、後ろで誰か俺を呼ぶ様な気がする。
振り向くと40歳位の人が話し掛けて来た。
話し掛けてきた方はバーローさんといい、話している内に「家に来てみないか」と言われ、ためらわずに付いて行き、家族に紹介される。
昼食をご馳走になった後、ベランダにて先程の風景を目の前に、コーヒーを手にいろいろと話す。
やはり日本の事を相当に聞かれたが、「旅をしておいて良かった」とつくづくと感じた。
なぜなら、俺は全国(沖縄は除く)を自分の足でペダルを漕いで回ってから出て来たため、「自分の目で見、耳で聞いた事」を伝える事が出来たからだ。
それはそうと、ニュージーランドでは日本の事を相当に授業で教えているのではないかと思われる。
これは、二人の娘さんの内の姉のアンナが持って来た地理のノートと教科書の地図帳を見て驚く。
アンナは持って来たノートを見ながら いろいろと日本の事を質問するのだが、そのノートには びっしりと相当な量が書いてあった。
また、地図帳の日本のページには全ての都道府県庁所在地のほか、全都道府県の主要な都市名も記載されている。
出身地を聞かれた際には、日本での経験からマイナーと思い込んでいる福井県についても場所をすぐに示す事ができた。
日本の教科書には、ニュージーランドの事はせいぜい1ページ位のものだろう。
昼食後、妹のビリンダから「折り紙」を頼まれ「つる」を折る。
まさか外人が「折り紙」知っているとは思わなかったが、こういう物は日本人なら少しは知っていなければならないと思う。
また、この家でテ・カオで聞いた「男が後片付けする」ことについて、「洗った食器をすぐに布で拭いて所定の位置に片付ける」事を体験したが、日本では洗った食器は食器篭に入れて乾燥させてから仕舞うものと思っていただけに驚く。
5時間もの時間がアッという間に過ぎてしまい、バーローさんにノースコーテ(Northcote)の市街図を見せてもらって要所を写し、奥さんのキャスリーンからサンドイッチ、クッキー、ゆで卵などを渡され、バーローさん一家に見送られて出発。
しかし、再び間違ったらしく、フェリー乗り場に続くのとは違う通りを走っていて全く見当もつかない状態に陥り、近くに居た人に声を掛ける。
すると、その人は「レインガ岬であなたを見た」と言って家に入り、奥さんを連れ地図を持って来て「二人で この辺で見た」と説明してくれる。
フェリー乗り場までの道を聞くと「この細い道を下って右に曲がればすぐだ」と言われ、庭へ案内されて「あの黒っぽい細長い建物ですよ」と教えられる。
フェリー乗り場に着いたのは午後4時。
これから20分の距離にあるオークランド市街に向かうのだが……。
このフェリー、日本のカーフェリーを予想していたのだが見事にくつがえされ、渡し船みたいな感じで、屋根から乗船し、自転車は屋根の上に倒して湾を渡るという初めての経験をした。
下船後、フェリー料金70¢、自転車料金40¢の計1$10¢を払って市街に入るが、「やっと着いた」という感じだ。
メインのクイーンストリート(Queen street)をわざと通らず、裏道を通ってオークランドユースホステルに入る。
と言っても、本当は「入れた」だが。
このユースホステルで、ワーキングホリデーでオーストラリアで5ヵ月間生活していたと言う、日本人のAさんに親切にしてもらう。 Aさんは、明日カイタイアへ向かうとの事。
もう一人 日本の女性を見たが、彼女は満員のため断られ荷物を持って出て行った。
ユースホステルで料金1$50¢と毛布30¢の計1$80¢を払ってベッドに荷物を運ぶ。ただし、食事は無し。
ぺアレントが物凄く親切な人で、自転車を物置の様な所に入れてしまい鍵まで掛けてくれた。
テ・カオ以来で日本人とを話す。
今日は予定が大幅に狂った一日だったが、中味は非常に濃い一日だった。
そして、今日も風が強かったが、昨夜は雨が降った。
※「国道1号線がモーターウェイになっていた事」について、彼は「案内表示は全く無
かったが、先を見るとゲートがあった」と言っていた。