ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

[37]ブラッフ ⇒ スチュワート島

 

1月2日(金) 晴れ

午前5時45分起床。

午前7時に出発して港に行く。

 

出港1時間前のため、俺が一番先だと思いきや、チケット売り場の前にはもう12~3人が並んでいる。

 

俺も後ろについて並んで待っていると、おじいさんが来て俺に話し掛けてくる。

言葉が分からないにもかかわらず、何とか話は通じるのだから面白い。

 

彼が言う所によるとバッジを見せて、「私はイングランド(England)のツーリングクラブのメンバーだ」と自己紹介した後、俺の自転車を指さして「あなたの自転車は素晴らしい」とべた褒めだ。

 

そして、この旅行の事や日本のことを聞かれるままに話したが、やはり「日本人は珍しい」と言われたほか、「レインガ岬から走って来て、今日のオーバン(Oban)で終わりだ」と言ったらビックリしていた。

そして、何故かは分からないが「ブラッフとオーバン間の往復のチケット」をくれ、名前と日本で住んでいる都市名を教えて欲しいと言われるので「O**** H*****,FUKUI」と教えて別れる。

感じの良いおじいさんだった。

 

別れて間もなく、船に乗り込む。

一番前の席に座っていると、ガラス越しに目の前をデッカイ籠に入れられた荷物が次々とクレーンで船底に収められる。

半分くらい積み終わったところで、俺の自転車も「アッ」と言う間に船底に行ってしまった。

クレーンで吊り上げられるという経験が日本では無いうえ、初めて見る光景だけに驚くばかり。

 

フェリーは午前8時15分に港を離れ、強い風の吹き荒れるフォーボー海峡(Foveaux Strait)を横切ってオーバンに着き、10時10分に最終目的地であるオーバンの桟橋に足を降ろす。

 

下船と同時に、2人の男の人が「クラウン・レーンジで自転車を押し上げている あなたを見た」と言って話し掛けて来たので、何とか話す。

話している内に船から荷物が降ろされ始め、俺の自転車がクレーンで上がって来た時には、港にいる全員から驚嘆の声が上がったほどだ。

フェリーからクレーンで降ろされる自転車[オーバン](1976.01.02)

ブラッフとオーバンを結ぶフェリー「ワイルア(WAIRUA)」(1976.01.02)

ここオーバンはニュージーランド最南端の村で、前にはハーフムーン湾(Halfmoon Bay)の白砂の砂浜、周りを緑の森に囲まれた中にある。

オーバン。右手中ほどにフェリー「ワイルア」が見える(1976.01.02)

先ず買物をして、走り始める。

スチュワート島には走れる道は殆ど無いという先入観があったが、いざ走ってみると まあまあ有るもので30kmほど走ったと思われる。

 

フォーボー海峡をへだてて南島がうっすらとあるのを見て、リンガリンガ海岸(Ringaringa Beach)まで行って昼食を食べた後、今度はディープ湾(Deep Bay)に行く。

リンガリンガ海岸(1976.01.02)

リンガリンガ海岸(1976.01.02)

リンガリンガ海岸からディープ湾に向かう道。正面はディープ湾(0976.01.02)

ディープ湾(1976.01.02)

ディープ湾に自転車を置きっ放しにして、鬱蒼としたシダの林を抜けると、下には ついさっきフェリーに乗って入って来たハーフムーン湾がある。

 

同じ道を戻りつつ、途中で左に曲がってゴールデン湾(Golden Bay)に寄る。

ゴールデン湾もやはり波は静かで、真青な海がある。

ディープ湾からゴールデン湾に向かう道(1976.01.02)

ゴールデン湾(1976.01.02)

再び自転車の所に戻り、オーバンに戻りつつ走っていると、インバーカーギルへ戻るのだろう、ハーフムーン湾から定期便の水上飛行機が飛び立って行く。

ハーフムーン・ベイから飛び立つ水上飛行機(1976.01.02)

オーバンを過ぎ、バッシング海岸(Bathing Beach)とバターフィールド海岸(Butterfield Beach)に立ち寄り、波静かなホースショー湾(Horseshoe Bay)に着く。

バッシング海岸(1976.01.02)

バターフィールド海岸(1976.01.02)

弱い陽光の中、ホースショー湾の砂浜では子供達や水鳥が遊んでおり、砂浜にはクッキリと俺の自転車のタイヤの跡もついている。

ホースショー湾(1976.01.02)

更にホースショー湾から北方向にあるリー湾(Lee Bay)に向かうも、途中で道は無くなり引き返さざるを得なかった。

ホースショー湾からリー湾に向かう道(1976.01.02)

今日は、オーバンから約5kmの所にある、ホースショー湾にある建築中の家で野宿。

ここまで来ると「もう本当に終わりなんだなあ」と、つくづく感じる。

 

ここスチュワート島は砂浜と原生林が非常に美しく、シダの木も鬱蒼としている、観光で荒らされていない島である。

 

今日は11人の人が、「俺を〇〇〇で見た」と言って話し掛けて来た。

クラウン・レーンジ、フォックス氷河、クイーンズタウンのほか、バスの中から見たなど様々だ。

こういうのを聞くと、「やはり俺は走って来たんだ」と言う満足感が頭の中を走る。

 

レインガ岬を出てから、年も明けて今日までの33日間、実にいろいろな事があった。

その間に走った日数は29日間、走行距離は3000余km。

人々には親切にされ、俺が目的とした所も十分すぎる位に果たした。

実に素晴らしい、そして短かった33日間。

 

英会話はもちろん英語力自体がゼロのため、去年の11月28日に羽田を出る時には「どうなる事か」と思ったにも関わらず「何とかなるだろう」だった気持ちも、今は「もう終わってしまったのか」と思うと、満足感と同時に実に寂しい気持ちだ。

 

そして、あと一週間でニュージーランドを離れねばならない事を思うと、時の経つのは何と早い事か。

33日間の間に、俺はニュージーランドの人々に世話になり助けられたほか、素晴らしい自然を十二分に知ったと思う。

 

観光地と言うのは さすがに素晴らしいが、それよりも「それ以外の所で素晴らしいものと出会った時、見つけた時、感じた時」、これこそ真の旅だと思う。

 

この体験は、特に「人々に親切すぎる位に親切にされた事」は生涯忘れないであろう。

そして、「日本人と殆ど会わない」と言うのも良いではないか。

 

Very good traveling in NEW ZEALAND.

※「ブラッフとオーバン間の往復チケット」について、彼は私に「料金は往復6$で、

 自転車は旅行者の荷物と同じ扱いだったのか、往復共に払っていない」と、ブラッフ

 に帰港後に話していた。

※「クレーンで吊り上げられるという……」について、私は「そのままの姿で吊り上げ

 られて格納された」のは、この時以外では1998年11月23日に青ヶ島を往復した際に乗

 った「還住丸」のみで、2017年11月6日に再訪した時は「あおがしま丸」に代わって

 おり、この時はコンテナに入れられて格納された。

※「水上飛行機」について、当時はオーバンとインバーカーギルを結ぶ定期便があり、

 写真は運よく写せたもの。

 この飛行機について、彼は私に「手元にあるMOUNT COOK AIRLINESの時刻表(01

 April 1975 - 31 October 1975)によると、午後4時オーバン発、午後4時20分イン

    バーカーギル着の095便とある」と、ブログを作成する際に調べた結果を話してく

 れた。