1月8日(木) 曇り
午前8時に起床。8時15分に朝食。
今日はオークランドに入る。
いよいよ「終わりも近くなったなあ」と言う感じが強くなる。
部屋でボケーッとしていたらすぐに時間が来てしまい、10時にチェックアウトを行いタクシーで空港に向かう。
ウェリントン空港で、俺と同じ便でオークランドに行くと言う静岡県のOさんに会い、インバーカーギル以来で日本人と話す。
ウェリントンはクライストチャーチとは問題にならないくらい建物は大きく、天使の聖マリア教会の横の階段を上った所からのウェリントン市街一望も何とも言えず、忘れられない風景となった。
そして、ウェリントンを歩いている時には、俺は日本人を一人も見る事はなかった。
ただ一つ残念だったのは「ケーブルカー」が走っていなかった事。
空港のカフェテリアでOさんに奢ってもらい、彼のカメラに一緒に収まった後、彼は乗り換え便でファンガレイへ向かい、俺はタクシーでオークランド市内へと別れる。
タクシーのドライバーは40歳位のオバさんだったが、いろいろと話して楽しかった。
助手席に乗り「レイルトン・ホテル(Railton Hotel)へお願いします」と何度口で言っても理解してもらえず、最後の手段の予約証を見せると直ぐに理解してくれた。
原因は「レイルトン」のアクセントであり、ホテルに向かう車中においては、運転するオバさんがが納得するまでアクセントの反復練習が楽しく繰り返された。
そして、単語を話しているつもりでも、「アクセントの違いで全く理解してもらえない」事を身をもって体験すると共に、サイクリング中の事を思うとニュージーランドで出会った人達の優しさを改めて思った。
何時でもそうだが、分からない時は「分からない」と日本語で言っても通用したため、俺はどれだけ使ったか知れない。
ホテルに着き、2泊朝食付きで15$を支払い部屋に入る。
部屋はツインで良い部屋だ。
部屋に入り、身の回りの整理をして(と言っても、持って歩かない物を部屋のタンスに入れるだけだが)、久々にクイーン・ストリートをダウンタウンに向かう。
先ず日本航空の事務所へリコンファームをしに行く、
しかし、日本航空の事務所では出来ないらしく、ニュージーランダ―の職員は「1階(Ground floor)のニュージーランド航空(Air New Zealand)でして頂きたい」と、俺でも理解できたくらい分かりやすく説明してくれ、ニュージーランド航空にて行うと「OK Sir. Thank you」と言われ、俺も「Thank you」と返答し、安心して街中に出る。
適当にウィンドウショッピングを楽しんで、入国日以来でアルバート公園に行く。
オークランド大学(Auckland University)や花時計、ヴィクトリア女王像(Statue of Queen Victoria)などを見て、入国した日に初めて来た場所がこの公園だった事を思い出しながら ゆっくりと過ごす。
公園を後に、タウン・ホール(Town Hall)を見ながらクイーン・ストリートをホテルに向かうも、足を伸ばしてカランガハペ通り(Karangahape Road)に行く。
通りをブラブラとしている時、帰国する際にお土産を入れるバッグが無い事が思い浮かび、18$95¢でバッグを1個購入。
高価だが これでも安い物を買ったつもり。
ニュージーランドでこのようなバッグは全体的に高価なため、安い方だろうと思う。
また、家族や餞別をもらった者への土産を本格的に買い始めるが、マオリの木彫りについては「Caved Rotorua」とあるものは、小さくても高価だった。
午後9時半にホテルに帰る。
※「ケーブルカーが走っていなかった事」について、彼は1990年2月にニュージー
ランドを個人で再訪。帰国した彼は「2月13日にケーブルカーに乗って来た」と輪
行袋の中の私に話したほか、「ルイスは娘さんの家に不幸があり、長女夫婦がオタキ
やウェリントンを案内してくれ、オークランドではバーローさん一家に会って来た」
と話していた。
ちなみに、「ルイスには手紙で連絡してあったが、バーローさんは突然伺った」との
事だった。
※「1階(Ground floor)……」について、当時ニュージーランドでは建物の階の数え方は
英国式で、「1階はGround floor、2階がFirst floor」であり、エレベーターの階表示
も「1階はG、2階は1」だったが、現在はどうなのだろうか?