ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

[45]オークランド そして出国しニュージーランドを後に

 

1月10日(土) 曇り

何故かは分からねど眠れず、寝たのは今日の午前2時半。

今から寝ていいものかと心配したけれど、無事 午前6時45分に起床。

 

7時20分に朝食を食べにダイニングルームへ行く。

トースト3枚、コーンフレークス、ミルクコーヒーのほか、メニューにあった全く訳の分からない物を頼むと「トーストの上にミンチと野菜炒めがのったもの」が出て来た。

 

何時もだが、大した量でもないのに朝食だけで30分以上かかるから信じられない。

俺は朝食だけだが、ディナーなんか食べたらとんでもない時間がかかるであろうと思う。

その点、カフェテリアやテークアウェイは楽で良い。

 

朝食後、「明日はもう日本か」と思いながら、自転車、サイクリング用品、土産その他で50㎏はあろうかと思われる荷物を持って受付に行き、タクシーを呼んでもらってこれらを積み込み空港に向かう。

 

空港に着き、空港に備え付けられている台車にこれらの荷物を乗せ、ニュージーランド航空のカウンターに向かう。

 

チェックインの際、機内預け荷物が50㎏はあるため超過料金を心配していたが、料金は全く取られず、荷物チェックも全く無かったのには驚く。

 

他の搭乗者を見ていると、物凄い量の荷物を預けているのには目をみはるばかり。

オークランド空港のカウンター前ロビー(1976.01.10)

そして、チェックインと同時にカウンターで出国税2$を払ってから出国カードを貰う。

 

入国の際は飛行機の中で辞書を引きっ放しの孤軍奮闘状態だったが、今回は入国時と比べると信じられないほど進歩したもので、何も見ずに辞書を引くことも無く「1ヵ所」のみ残して埋まってしまった。

出国カードは未記入の1ヵ所を残したまま、「何とかなるだろう」と税関に向かう。

 

9時20分に通関。

出国カードについては未記入の1ヵ所に加え記入ミスが1ヵ所あったが、担当官が俺に話しを聞いて「未記入個所は記入、記入ミスは修正」してくれ、すんなりと通関できた。

通関を終え、出発ロビーに向かう通路[ターミナル側](1976.01.10)

通関を終え、出発ロビーに向かう通路[搭乗ゲート側](1976.01.10)

出発ロビーの免税店で部活の寮生への土産として、ニュージーランドで最も吸われていたと思うタバコ(銘柄はロスマンズ)2カートンをUS3.5$で購入。

また、昨日オークランドの免税店で購入したものも無事に受け取る。

寮生への土産として購入した「ロスマンズ」のパッケージ(※2023.02.07自宅にて)

10時10分、「オークランドシドニー経由シンガポール行の701便」に搭乗。

機材はDC-10で、座席は左側の窓から2番目の18B。

搭乗券で18Bと見た時、機内からの風景は諦める。

ニュージーランド航空701便の機内(1976.01.10)

席に座り、11月29日にガイドブック1冊、英会話の本1冊、英和と和英の辞書を各1冊、1枚物の地図2枚の資料しか持てずに入国してから43日間、ニュージーランドの人達の親切と優しさに助けられて旅行を終える事ができ、旅行中の日々の情景が次々と脳裏に浮かぶ。

 

そして、10時20分に飛行機はシンガポールに向け、曇天のオークランド空港を離陸した。

オークランド空港を離れるニュージーランド航空701便(1976.01.10)

今日はシンガポールに泊まり、明日は日本に帰国する。

 

なお、ニュージーランド航空701便の機内食を朝/昼/晩と食べたが、3食とも美味しい上にボリュームがあり、俺でも腹一杯になり、夕食などは食べ切れなかったくらいだった。

ニュージーランド航空701便の昼食4-1(1976.01.10)

ニュージーランド航空701便の昼食4-2(1976.01.10)

ニュージーランド航空701便の昼食4-3(1976.01.10)

ニュージーランド航空701便の昼食4-4(1976.01.10)

ニュージーランド航空701便の昼食で使用するナイフ、フォーク類(1976.01.10)

※「空港に備え付けられている台車」について、ニュージーランドでは無料で自由に

 使用できた。

 この事から、彼は帰国した際にニュージーランドの感覚で羽田空港に有った台車を使

 用していたところ、空港の職員から使用している事を注意されたが、到着ロビーの直

 前まで使わせてくれた。

 彼は「日本では自由に使える物ではない事を知った」と台車に乗っていた私に話しか

 けていた。

 なお、台車については現在の日本ではどこの空港でも自由に使え、当時を思うと隔世

 の感がある。

※「機内預け荷物の超過料金」については日本航空のみ支払い。

 羽田発シドニー便は総重量約40㎏で、超過重量20㎏に対し5㎏オーバーとして17,150

 円、シンガポール発羽田便は総重量約50㎏で、超過重量30㎏に対し15㎏オーバーとし

 てSI220$(日本円換算で約26,400円)を払う。

※「機内からの風景は諦める」について、隣の座席はインド人の子供の一人旅行で、彼

 は「うるさくて困っていた」にも関わらず付き合っていた。

 そして、1時間ほどして「写真を撮りたい」というと他の席へ行ってくれ、たまに戻

 って来ても彼の本来のB席に座ってくれた。

 彼は現金なもので、「うるさい奴」から「いい奴」に見方が変わっていた。

※「寮生への土産としてタバコ……」について、部活関係の土産は個人を除き全てタバ

 コと洋酒を購入。

 当時は現在と違い、洋酒および外国産のタバコは超高級品で学生に手が届くものでは

 なく、免税店での価格を見て余りにも安いのに驚きオークランドシドニー、シンガ

 ポールの各空港で購入。

 ちなみに、当時タバコは日本製が一箱100円に対し外国製は一箱400円から500円、洋

 酒については「ジョニーウォーカー黒ラベル」や「シーバスリーガル」が1万円だ

 った。

 ちなみに、彼はタバコは全く吸いません。