ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

1.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。

空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

なお、ここで紹介するものは、彼が1975.11.28に日本を出発し、1976.01.11日にかけて旅行した「ニュージーランド縦断サイクリング」の帰路に寄った空港です。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月25日に公開したものと同一内容です。

※彼は1月10日にオークランドを出発しシドニー経由でシンガポールに向かい、一泊して帰国しており、

 当時はシンガポールから羽田への直行便は無く、タイのバンコクと香港を経由

している。

[10] タ イ、香 港

◎タ イ

ドン・ムアン(Don Mueang)国際空港

1月11日 () 晴れ

シンガポールを9:15分に出発し、タイに 11:50分着。気温は21℃。

本日、3つ位の団体客が同じ飛行機に乗っているが、今までは空港に着くと日本人は俺一人のみ又は1~3名だったのが、ここではターミナルに向かうバスの客は殆どが日本人。

タイで土産を買おうと思ったが、ぶらぶらしていたら時間が来て何も買わず。

殆どの店に一人は日本語を話す店員がいた。

1976.01.11 ドンムアン(Don Mueang)国際空港…バンコク

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る 戦勝記念塔…バンコク

1976.01.11 戦勝記念塔…バンコク

1976.01.11 メナム川とルンビニ公園付近…バンコク

※私は、彼が「この写真一枚では俺しかタイのドン・ムアン空港とは全く分からないと思う」と話して

 いるので、空港ではありませんが偶然にも写っていたバンコクの「戦勝記念塔付近」と「ルンビニ

 公園付近」の写真を入れました。

 ちなみに、私も格納庫に居たため外の様子は全く分かりません。

◎香 港

香港国際空港 (啓徳[Kai Tak]香港国際空港)

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る啓徳[Kai Tak]香港国際空港

 

1.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。

空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

なお、ここで紹介するものは、彼が1975.11.28に日本を出発し、1976.01.11日にかけて旅行した「ニュージーランド縦断サイクリング」の帰路に寄った空港です。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月24日に公開したものと同一内容です。

[] オーストラリア、シンガポール

◎オーストラリア

シドニー国際空港

12:30分オーストラリア・シドニーにてボーディング。

シドニーにて1時間 トランジット間にウィスキー 1本 AS8$・US約10$ これは部屋の土産とコアラベア×2、ブーメラン×1買う。3つでUS27$75¢なり。

※ウィスキーは部活関係の土産として購入。

 当時は現在と違い洋酒は超高級品で学生に手が届くものではなく、免税店での価格を見て余りにも安い

 のに驚く。

 ちなみに、洋酒については当時ジョニーウォーカー黒ラベル」や「シーバスリーガル」が1万円

 だった。

 部活関係の土産についても、昨今の社会情勢を思うと隔世の感がある。

   1976.01.10 シンガポール行のNew Zealand航空701便[DC10]の機内から見るシドニー国際空港                

   1976.01.10 シンガポール行のNew Zealand航空701便[DC10]の機内から見るシドニー国際空港               

1976.01.10 シドニー国際空港の通過客(transit)ロビー

シンガポール

※彼は1月10日にオークランドを出発しシドニー経由でシンガポールに向かい、一泊して帰国している。

シンガポール国際空港 (Paya Lebar[パヤ・レバー]Singapore国際空港)

1月11日 () 晴れ

昨夜PM10:30ごろ日航からTELあって[※迎えのタクシーの事]、7:10分にベルボーイを呼んでFirst Floorに下りる。

シンガポールはやはり冬だけあって朝が遅く、明るくなったのは6:30過ぎである。

日航から回されたタクシーに乗り、先ずはairportへ。

入国は税関など無かったが、出国の時はバッグ(機内持込荷物は省く)を調べられる。日本を出て以来である。

Duty-free shopでブランデー:クールボアジェVSOP 2本、カミュVSOP 1本をS18$=US8$で買う。嘘みたいに安い。N.Z.、オーストラリアよりはるかに安い(良かった)。

シンガポールを9:15分に出発し、タイに 11:50分着。気温は21℃。

※ブランデーは部活関係の土産として購入。

 当時は現在と違い洋酒は超高級品で学生に手が届くものではなく、免税店での価格を見て余りにも安い

 のに驚く。

 ちなみに、当時ブランデーについては「VSOP」クラスは1万円だった。

 部活関係の土産についても、昨今の社会情勢を思うと隔世の感がある。

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る    
       パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る    
       パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る    
       パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港

1976.01.11 羽田行きの日本航空718便から見る    
       パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港

1976.01.11 パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港のロビー

1976.01.11 パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港の搭乗口待合室

1976.01.11 パヤ・レバー(Paya Lebar)シンガポール国際空港の搭乗口待合室

 

1.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月23日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

[] ニュージーランド④ 南島 ダニーデン

インバーカーギル空港 ※写真はありません

1976年1月4日

飛行機の出発が午前7時10分のため、寝過ごしを心配してたいたが、信じられないくらい早い午前5時45分に起きてしまった。

午前6時10分まで寝袋の中にいた後、寝袋とグラウンドシートを片付けてバッグに収め、6時半にトイレにて着替える。

 そして、着替えが終わった時点でニュージーランド縦断サイクリング」は終わった。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

タウポ以来の服装に着替えたが、昨日までの服装が信じられない位で、久々だけに気持ちも良い。

 今日からはサイクリングではなく、観光旅行でクライストチャーチ(Christchurch)、ウェリントン(Wellington)、オークランド(Auckland)の3大都市を各々2泊して見て回る。

インバーカーギル空港にてタウポ以来で日本人に会う。そして、俺を見て「お早うございます。あなたの事でしたか?」といきなり声を掛けてくる。

彼は、昨日スチュワート島へ飛行機で行かれたとの事。

全く訳の分からない俺は「どうかしましたか」と聞くと、彼は「昨日スチュワート島のホテルで飲んでいる時、現地の人が『Jpanese Cyclist』と何回も言って日本人が話題になっていたが、訳が分からず何の事かなと不思議に思っていた」と言い、俺と話していて「凄いですね」とも言った。

彼はダニーデン(Dunedin)からクイーンズタウン経由でマウント・クック(Mount Cook)に行かれるという。ダニーデンまでの機内と空港で約1時間余り、久し振りに日本語の会話をした。

 

ダニーデン国際空港 》

ダニーデンクライストチャーチ行きに乗り換えのため、何と5時間も待つ。

何故かは分からないが、昼食は空港のサービスで出されるなど、意外と快適であった。

ダニーデン国際空港

1976.01.04 ダニーデン国際空港

1976.01.04 ダニーデン国際空港

1976.01.04 ダニーデン国際空港

1976.01.04 ダニーデン国際空港

1976.01.04 ダニーデン空港のロビーにて

1976.01.04 ダニーデン空港のロビーにて

ニュージーランドの空港の写真については、公開した空港以外の写真はありません が、彼が公開

 した写真以外に北島ではカイタイア空港(到着空港)、ファンガレイ空港(経由のため着陸)、南島では

 インバーカーギル空港(出発空港)を利用しています。

 

 

.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。

空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月22日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

[] ニュージーランド③ 南島 クライストチャーチ

クライストチャーチ国際空港

1976年1月4日

午後1時15分、クライストチャーチに到着。通路に入るなり、10数人の日本人団体客を見る。

先ずはインフォメーションへ行き航空券とホテルの予約を行うが、ここでは国内全域の庶民用から超高級ホテルまで予約が可能だった。

到着した際、航空券とホテルの予約をするため、機内に預けた自転車や荷物を受取らずにインフォメーションに行ったため、予約を終えた際にこの事について聞くと「到着後に引き取りが無かった荷物については、専用の保管する場所がある」と言って教えてくれ、引き取りに行く。

タクシーで今ほど予約したウィンザーホテル(Windsor Hotel)に向かう。カイタイア以来でタクシーに乗ったが、その時の経験から助手席に迷わず乗り込む。

ホテルには30分程度で着いたが、その間ドライバーが いろいろと説明してくれ楽しかった。

1975年1月6日

9時45分にウィンザーホテルに戻り、10時ジャストにチェックアウトすると、鍵と引き換えに1$戻って来た。

このホテルはこじんまりとしているが、支配人をはじめや従業員、部屋はもちろん立地環境に至るまで全てが良かった。

タクシーを呼んでもらい、クライストチャーチ空港に直行。

昨日もそうだったが、クライストチャーチの俺の乗ったタクシーの運転手は「ここは〇〇〇だ」、「あれはスピットファイア」など説明してくれるので楽しい。

やはり、ニュージーランドのタクシーは「1人で乗る場合は助手席に乗る」のが常識らしく、日本とは異なりおもしろい。

空港のカウンターで11時20分にチェックイン。

クライストチャーチからウェリントンまで45分だが、飛行機に乗っていると時間の経つのは早く、これは未だ飛行機が珍しいからであろう。

※彼は2000年8月の家族旅行の際、ウィンザーホテルに宿泊している。

1976.01.06 クライストチャーチ国際空港

1976.01.06 クライストチャーチ国際空港

1976.01.06 右側の下から4番目に「TOKYO 7075㎞」とある…クライストチャーチ国際空港

1976.01.06 クライストチャーチ国際空港のロビー

航空機については、一昨日のインバーカーギル ⇒ ダニーデンダニーデン ⇒ クライストチャーチ、本日のクライストチャーチ ⇒ ウェリントンいずれもボーイング737である。

クライストチャーチからウェリントンまで45分だが、飛行機に乗っていると時間の経つのは早く、これは未だ飛行機が珍しいからであろう。

1976.01.06 ウェリントンに向かうNAC560便…クライストチャーチ国際空港

1976.01.06 NAC560便から見るゲートから飛行機までの搭乗通路     
                   …クライストチャーチ国際空港

空港とは全く関係ありませんが、彼は2011年2月のクライストチャーチ地震で崩壊した「クライストチャーチ大聖堂」の約半世紀前の姿を紹介したいとの事です。

※観光名物の「トラム」について、当時は復元されていませんでした。

1976.01.04 クライストチャーチ大聖堂

1976.01.04 クライストチャーチ大聖堂

1976.01.04 クライストチャーチ大聖堂

1976.01.05 クライストチャーチ大聖堂のバルコニー[地上36m]から見る風景

1976.01.05 クライストチャーチ大聖堂のバルコニー[地上36m]から見る風景

1976.01.05 クライストチャーチ大聖堂のバルコニー[地上36m]から見る風景

1976.01.05 クライストチャーチ大聖堂のバルコニー[地上36m]から見る風景

1976.01.05 クライストチャーチ大聖堂のバルコニー[地上36m]から見る風景

 






1.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。

空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月21日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

[8] ニュージーランド② 北島の2 ウェリントン

ウェリントン国際空港

1月8日(木) 曇り

1976年1月6日

クライストチャーチからウェリントンまで45分だが、飛行機に乗っていると時間の経つのは早く、これは未だ飛行機が珍しいからであろう。

ウェリントンに着いて、先ずは空港内のニュージーランド航空のカウンターで、10日に予約してある「オークランドシンガポール便(シドニー経由)」のリコンファームをする。職員が「オークランドへ電話して欲しい」と言っているのは分かったが、どうすればよいのかわからないので「分からない」と適当に言ったら、職員が電話してくれ「OK Sir. Thank you」との返答だったので、俺も「Thank you」と返し安心して後にする。

次いで、両替所でUS300$をNZ284$47¢に交換。ここでは「20$ Or10$」と希望する紙幣の種類を聞かれたので、20$を希望する。空港でしたい事を終え、タクシーでピーポーズ・パレス・ホテル(Peoples Palace Hotel)に向かう。

1976年1月8日

午前8時に起床。8時15分に朝食。

今日はオークランドに入る。

いよいよ「終わりも近くなったなあ」と言う感じが強くなる。

部屋でボケーッとしていたらすぐに時間が来てしまい、10時にチェックアウトを行いタクシーで空港に向かう。

ウェリントン空港で、俺と同じ便でオークランドに行くと言う静岡県のOさんに会い、インバーカーギル以来で日本人と話す。

ウェリントンを歩いている時には、俺は日本人を一人も見る事はなかった。

1976.01.08 ウェリントン国際空港(2-1)

1976.01.08 ウェリントン国際空港(2-2)

1976.01.08 ウェリントン国際空港

1976.01.08 ロビーの待合室と売店ウェリントン国際空港

1976.01.08 搭乗手続きカウンターとロビー…ウェリントン国際空港

1976.01.08 ロビーで搭乗手続きを待つ輪行袋に入った私と    
                機内預け荷物…ウェリントン国際空港

1976.01.08 ロビーで搭乗手続きを待つ輪行袋に入った私と      
            機内預け荷物…ウェリントン国際空港

ロビーに置かれた輪行袋に入った私と機内預け荷物は、「たまたま写っていただけ」

だそうです。

 

※以下の写真は家族旅行で行った際のものです。

1995.08.07 ウェリントン国際空港

1995.08.07 ウェリントン国際空港

1995.08.07 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港

2017.08.15 ウェリントン国際空港






 









1.写真に残る空港および航空機

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。

空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月20日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっています。

[8] ニュージーランド① 北島の1 オークランド

オークランド国際空港

1975年11月29日

彼が実現する事は無いと思っていた「外国の土」を、生まれて初めて踏んだのはオークランド国際空港でした。

そして、私は「持って帰る」ことを確認され入国できたそうです。

ちなみに、彼は「英会話力はゼロ、英単語も殆ど知らない」という状況で出発。

この便でオークランド空港に着いた日本人は2名のみで、税関に向かう通路を歩いている時、現地で家庭を持っておられるAさんから掛けられた言葉は「日本の方ですか?」だった。

また、入国時の質問は全く分からなかったが、A さんが通訳して全て代わりに答えて下さったお蔭で、私達は無事に入国する事が出来たそうです。

1975年11月30日

空港にて気付いたのが、時差の3時間を進めたにも関わらず、腕時計を見ると1時間遅れていた事である。これはニュージーランドサマータイムを採用しているためで、私はサマータイム自体を知らなかった。

午後1時35分 NACのチェックイン。                    

言葉が全く分からなかったが何とかOK。超過手荷物代(Excess baggage}請求されず。

1975.11.30 オークランド国際空港(4-1)

1975.11.30 オークランド国際空港(4-2)

1975.11.30 オークランド国際空港(4-3)

1975.11.30 オークランド国際空港(4-4)

1975.11.30 オークランド国際空港に建つ世界の主要都市への距離標識

1975.11.30 ファンガレイ経由カイタイア行きのNAC724便…オークランド国際空港

10分遅れの午後4時45分に飛行機は離陸し、ファンガレイ(Whangarei)を経由して午後6時15分にカイタイア(Kaitaia)へ着くも、快晴であったオークランド(Auckland)が嘘のような雨模様である。

空港のロビーにて、出て来たカイタイア便のパイロットとスチュワーデスから話し掛けられ、全く訳の分からない会話を行った。

話の中で宿泊先について聞かれた際、野宿するつもりだったため「決まっていない」と答えた事が要因だと思われるが、心配してくれたクルーとNACカイタイア支店の職員の世話で、テ・カオ(Te Kao)に居られる日本のT漁業の現地駐在員の家に泊めて頂く事なってしまい驚くばかり。

1975年1月10日

朝食後、「明日はもう日本か」と思いながら、自転車、サイクリング用品、土産その他で50㎏はあろうかと思われる荷物を持って受付に行き、タクシーを呼んでもらってこれらを積み込み空港に向かう。

空港に着き、空港に備え付けられている台車にこれらの荷物を乗せ、ニュージーランド航空のカウンターに向かう。

チェックインの際、機内預け荷物が50㎏はあるため超過料金を心配していたが、超過料金は全く取られず、荷物チェックも全く無かったのには驚く。

他の搭乗者を見ていると、物凄い量の荷物を預けているのには目をみはるばかり。

1976.01.10 搭乗手続きカウンターとロビー…オークランド国際空港

そして、チェックインと同時にカウンターで出国税2$を払ってから出国カードを貰う。

入国の際は飛行機の中で辞書を引きっ放しの孤軍奮闘状態だったが、今回は入国時と比べると信じられないほど進歩したもので、何も見ずに辞書を引くことも無く「1ヵ所」のみ残して埋まってしまった。

出国カードは未記入の1ヵ所を残したまま、「何とかなるだろう」と税関に向かう。

9時20分に通関。

出国カードについては未記入の1ヵ所に加え記入ミスが1ヵ所あったが、担当官が俺に話しを聞いて「未記入個所は記入、記入ミスは修正」してくれ、すんなりと通関できた。

1976.01.10 通関を終え、出発ロビーに向かう通路のターミナル側…オークランド国際空港

1976.01.10 通関を終え、出発ロビーに向かう通路の搭乗ゲート側…オークランド国際空港

10時10分、オークランドシドニー経由シンガポール行の701便」に搭乗。

機材はDC-10で、座席は左側の窓から2番目の18B。

席に座り、11月29日にガイドブック1冊、英会話の本1冊、英和と和英の辞書を各1冊、1枚物の地図2枚の資料しか持てずに入国してから43日間、ニュージーランドの人達の親切と優しさに助けられて旅行を終える事ができ、旅行中の日々の情景が次々と脳裏に浮かぶ。

そして、10時20分に飛行機はシンガポールに向け、曇天のオークランド空港を離陸した。

1976.01.10 シンガポール行のNew Zealand航空701便[DC10]の機内から見る    
                         オークランド国際空港

※以下の写真は家族旅行で行った際のものです。

1997.08.09 オークランド国際空港

 

1997.08.09 オークランド国際空港

1997.08.09 オークランド国際空港




10.写真に残るダム、発電所など

ダムについて、彼は「目的として旅行を組んだダムは一つのみで、他はすべて旅行における通り道にあったダムや発電所を写したもの」と話している。

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月26日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

16ニュージーランド 北 島(ワイラケイ)

ワイラケイの地熱発電

1975年12月9日に地熱発電所を初めて目にした時の日記には次のようにある。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

アティアムリ(Atiamuri)からは再び国道1号線となり、黙々と走っていると、橋の下には水ならぬ太い銀色に輝くパイプが一直線に並んでおり、その先には工場を思わせる様な、有名なワイラケイ(Wairakei)の地熱発電所が蒸気を噴き上げている。                  

展示館が有ったので見ようと思い、行ったはいいが時間外で閉館だった。

1975.12.09 ワイラケイ(Wairakei)の地熱発電

1975.12.09 ワイラケイ(Wairakei)の地熱発電

1975.12.09 ワイラケイ(Wairakei)の地熱発電

1975.12.09 ワイラケイ(Wairakei)の地熱発電

1975.12.09 ワイラケイ(Wairakei)の地熱発電

9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド② 北島(South Island)2

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月8日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

12月30日(火) 晴れ

時々 振り返って見ると、国道89号線の上にはクッキリと自転車のタイヤの跡がついている。

国道6号線に入って間もなく、右手に周囲を山々に囲まれた牧場の中に、小さくはあれ静かに水を湛えた湖水に木々を映すヘイズ湖(Lake Hayes)の美しさは格別で、まるで絵を見ている様だ。

一生涯こういう所で暮らして見たいと思う様な所だ。

ヘイズ湖

1975.12.30 ヘイズ湖

※彼は「目にした湖沼等では北海道のチミケップ湖、カムイト沼、ヘイズ湖が

 ベスト3」

 と今も話している。

 彼は「クイーンズタウンやアロータウンを訪れた際には、是非とも足を延ば

 して欲しい」

 とも話している。

ワカティプ湖

クイーンズタウンに着いたのは、午後3時ちょっと前。

両替後、少し街中を走って名物のゴンドラ乗り場に行き、ゴンドラでボブズ・ヒル(Bobs Hill)に上り、写真で有名な風景を眺める。

 しかし、本当に美しい。

写真を見て美しいと思っていたが、肉眼で見る風景は比較できないほど雄大で美しい!!!

ここからは、真下に整然とした美しいクイーンズタウンの街並みと真っ青な水をたたえたワカティプ湖(Lake Wakatipu)。

そして湖に突き出すケルビン半島(Kelvin Peninsula)及び それを取り巻くように連なるリマーカブル山系(The Remarkables)のほか、セシル山(Cecil Peak)やウォルター山(Walter Peak)などの山々が見える。

4時間ほど、雄大な中にも女性的な面を併せ持つ素晴らしい山紫水明の風景を満喫して、ゴンドラに乗って下りる。

また、街の中を適当に走り、寮母に絵葉書を出し、お土産を買って日本への発送を依頼した後、来た道をフランクトン(Frankton)まで戻り、買物をしてハンドルを右に切り、キングストン(Kingston)に向かう。

 両サイドに広がっていた牧場も消え、右にワカティプ湖を見て走る道路は、ボブズ・ヒルから見た湖に沿った道に違いない。

遠く湖を跨いで、クイーンズタウンがうっすらと見える。

ワカティプ湖畔を走っていると、不意に車の中からグラスになみなみと注がれたビールを持った手が助手席から出て来て、約20m先で停まった。

停まった車に近づくと「先ずビールを飲んでくれ」と差し出され、聞かれるままに この旅行の事や日本のことを話しながら、更にもう一杯ご馳走になる。

余りの予想外の出来事だっただけに、その美味さも格別だ!!!

現在、キングストンまで大体20kmと思われるワカティプ湖畔でキャンプ。

外では、相当に強い風が吹いている。

※「ビールを飲んでくれ」について、彼は躊躇することなく飲んでいたが、彼も私も「双方いずれも、

 現在では考えられない事だろう。特に飲む方は」と思っている。

 ちなみに、彼は「当時の日本における飲酒全般に対する考えは、現在に比べ非常に大らかだった」と

 話しており、私もこの点については その様に思っている。

1975.12.30 クイーンズタウンとリマーカブル山系

1975.12.30 ワカティプ湖とセシル山[左]およびウォルター山[右]

1975.12.30 ワカティプ湖。奥に見える山はクラウン・レーンジ・サミット

1975.12.30 上り下りする球体のゴンドラ

1975.12.30 上り下りする球体のゴンドラ

1975.12.30 ワカティプ湖を挟んでクイーンズタウンを遠望

1975.12.30 ワカティプ湖を挟んでクイーンズタウンを遠望

1975.12.30 ニュージーランダーのキャンプ風景(ワカティプ湖畔)

12月31日(水) 晴れ

なんとなく出渋っている内に、午前11時になってしまった。

今日で1975年も終わりである。

 本年最後の走行は、快晴の中を右にワカティプ湖を見ながら始まった。ワカティプ湖も終わるころ、湖に面してキングストンの町が美しく並んでいる。

1975.12.31ワカティプ湖畔からキングストンを遠望

1975.12.31 キングストンのワカティプ湖畔にある牧場にて

1975.12.31 ワカティプ湖畔の町キングストン

1975.12.31 キングストンを挟んで見るワカティプ湖

 

9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド② 北島(South Island)2

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月7日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

ワナカ湖 》の2および《 ハウェア湖

12月29日(月) 晴れ

午前10時半に出発。

出発が遅いせいもあるのか、昨日と打って変わって久々に夏らしい天気だ。

ワナカ湖とマウント・アスパイアリング国立公園、ハウェア湖と素晴らしい風景が続く中を走るが、とんでもない道路のため舗装道路の有難さを身に染みて感じた一日でもあった。

走っている車は、殆ど全部と言って良いくらい後ろにキャンピングカーやモーターボートを引っ張り、土ボコリをモウモウと上げて走っている。

土ボコリをモウモウと上げて走る事については日本も同じだが、一つだけ極端な違いがある。

本当に信じられない事に、殆どの車は俺を中心に前後30~50m位を出来るだけスピードを落として、ホコリが立たない様に走ってくれるのだ。

はっきり言って それ程の効果はないが、気分的には物凄く嬉しい。

1975.12.29 ワナカ湖

1975.12.29 ワナカ湖

マウント・アスパイアリング国立公園の山々を水に映すワナカ湖畔を走り、ワナカ湖とハウェア湖(Lake Hawea)の両湖を見る事が出来る標高405mのネック(THE NECK)を過ぎると、今度はハウェア湖だ。

1975.12.29 ネック(THE NECK)

1975.12.29 ネック(THE NECK)から見るワナカ湖

1975.12.29 ネック(THE NECK)から見るワナカ湖

1975.12.29 ネック(THE NECK)から見るハウェア湖

1975.12.29 ネック(THE NECK)から見るハウェア湖

また、暑い中をモーターボートが疾走するハウェア湖を左に見ながら走り、大分過ぎた頃やっと舗装道路になった。

舗装道路になって間もなく、ハウェア湖のほぼ全容を見渡せる展望所があり、ここには真下にブルーの水を満々とたたえるハウェア湖から水が引かれ、カップやホースも備え付けられてある。

粋な計らいのお蔭で、カップでのどを潤したり、手や顔を洗ったり、備え付けのホースでワナカ湖方面から来たホコリで真っ白になった車を洗ったりする事が出来るようにしてある。

 俺は、しばらくの間ハウェア湖を眺めて休憩した後、ポリタンクにハウェア湖の水を一杯に詰め、ワナカ(Wanaka)に向かう。

ハウェア湖も終わり近くになると、湖畔にはキャラバンカーがズラーッと並んでいて、湖ではモーターボートが白い波を立てて軽快に疾走し、岸近くでは人々が泳いでいるのを うらめしそうに見ながら、ハウェア湖を後にする。

※「カップでのどを潤したり」、「ポリタンクにハウェア湖の水を一杯に詰め」について、

 彼は湖畔から引かれている水の蛇口にカップ下がっているのを見て「飲んでも問題のがない」  

 と思ったとの事。

 また、同所ではミニバスで団体旅行しているニュージーランドの方が「水筒を見せて『ワナカ湖

 の水だ』」と言っカップに入れて出してくれ、ワナカ湖の水も飲んでいる。

 彼は結果的に両湖の水を飲んでいるが、「腹が痛くなった」とか「体調を崩した」という事は

 一切なかつた。

1975.12.29 ハウェア湖

1975.12.29 ハウェア湖

1975.12.29 ハウェア湖

1975.12.29 ハウェア湖を後にする

約1時間後、ワナカの町に入る。

数時間振りに再びワナカ湖を前にし、湖の向こうには頭を白くしたマウント・アスパイアリング国立公園の山々が連なっている。

1975.12.29 ワナカとワナカ湖

1975.12.29 ワナカとワナカ湖

1975.12.29 ワナカとワナカ湖

 

9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド② 南島(South Island)1

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月6日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

ワハポ湖 》および《 マポウリカ湖

12月26日(金) 晴れ

午前9時に昨日分の宿泊費4$を払い出発。

こんなに早い出発は、久し振りである。

今朝の服装は、普段のTシャツにジャージ、ハイソックス、ニッカーボッカーに加え、ヤッケを着て手袋まではめている。

服装は みんな薄い物だが、息を吐くと白くなるのだから、やはり相当に寒いのだろう。

本当に今、夏なのだろうか?

国道6号線に沿って、森閑とした中にあるワハポ湖(Lake Wahapo)、サザンアルプスを背にひっそりと青々とした水を湛えて美しいコントラストを見せるマポウリカ湖(Lake Mapourika)が姿を見せる。

マポウリカ湖畔でヤッケと手袋を脱ぎ、服装も普通の姿に戻る。

※「昨日分の宿泊費4$を支払い」については、24日と25日連泊した内の25日分の宿

泊費の事

1975.12.26 ワハポ湖

1975.12.26 マポウリカ湖

ワナカ湖 》の1

12月28日(日) 快晴

ハースト峠を境にオタゴ(Otago)地方に入ったが、上りはあれだけきつかった国道6号線も、期待した下りは殆ど無いと言ってよく、それよりもハースト峠を境にして、今度は道路が未舗装になってしまう。

真っ青な空の下、燦々と降り注ぐ太陽の中に広がる牧場で草を食む羊・牛、そして雪を頂いた山々。

日本では味わえない様な、素晴らしい自然の中をただ一人走って行く内に、今度は雪を頂いたマウント・アスパイアリング国立公園(Mount Aspiring National  Park)の峰々をブルーの湖水に写すワナカ湖(Lake Wanaka)が現れる。

ワナカ湖を右に見ながら悪路を軽快に走り、湖畔でキャンプを張る。

まだ明るいので、ジャブジャブとワナカ湖の中に入って靴下を洗うが、もう午後9時半を回っているせいか水の冷たさといったらない。

1975.12.28 ワナカ湖

1975.12.28 ワナカ湖

1975.12.28 午後10時ごろのワナカ湖




9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド① 北島(North Island)3

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月5日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

  タウポ湖 》の2

12月12日(金) 曇りのち晴れ

午前10時。

奥さんから昼食を渡され、ローリーと奥さんに見送られてタウポを後にする。

前方にはトンガリロ国立公園の山々、右にはタウポ湖が美しく、空港へ向かう道の分岐点までは、たった二日しか経っていないにもかかわらず非常に懐かしく思えた。

上り下りも無く、平坦で走り易い道を順調に進むが、湖畔には そこいら中でキャンピングカーが見られる。

道路わきのレストエリアで さざ波を耳に昼食を食べ、食後トンガリロ国立公園を背に記念撮影。

再びタウポ湖とトンガリロ国立公園の山々を右手に見ながら、湖岸の道路をトゥーランギ(Turangi)まで走り、ハンドルを右に切って国道41号線に入る。

トカアヌを過ぎて上りとなり、嫌な感じが頭をかすめるも、ワイヒビレッジ(Waihi Village)にあるLook Outから眺めたタウポ湖は「素晴らしい」の一言!!

1975.12.12 タウポ湖

1975.12.12 タウポ湖とモツタイコ島(Motutaiko Island)

1975.12.12 タウポ湖畔から見るトンガリロ国立公園

1975.12.12 ワイヒビレッジのルックアウト(Look Out)から見るタウポ湖全景(4-1)

1975.12.12 ワイヒビレッジのルックアウト(Look Out)から見るタウポ湖全景(4-2)

1975.12.12 ワイヒビレッジのルックアウト(Look Out)から見るタウポ湖全景(4-3)

1975.12.12 ワイヒビレッジのルックアウト(Look Out)から見るタウポ湖全景(4-4)

 

9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド① 北島(North Island)2

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月4日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

タウポ湖 》の1

12月9日(火)晴れ

モデル村の大アーチを撮ってロトルアを後に、国道30号線をタウポに向かう。

森を抜け、少し行くと急に開け、タウポ湖(Lake Taupo)を真ん中に、右にはハウフンガロア山脈(Hauhungaroa Range)、左にはタウポ(Taupo)市街、湖を跨いだ正面にはトンガリロ国立公園(Tongariro National Park)の中心をなすトンガリロ山(Mt Tongariro)、ヌアウルホエ山(Mt Ngauruhoe)、そして雪をいただくルアペフ山(Mt Ruapehu)を眺める、素晴らしい風景が広がり、すぐそこには これから下る1号線が湖に向かって延びている。

しばしの間、この風景に見とれ、カメラに収めて一気に下るとタウポ湖畔だ。

店を出て湖畔でボケーッとする。目の前には、静かな水を湛えて広がるタウポ湖が、落ちようとする陽に映えて美しい。

※「店を出て」の店については、タウポに入ってハンバーガーとアイスクリームを

 食べたテークアウェイの事。

1975.12.09 タウポとタウポ湖。右手の道路は国道1号線

1975.12.09 タウポ湖畔にて。正面の山々はトンガリロ国立公園

1975.12.09 タウポ湖を挟んで見るトンガリロ国立公園

1975.12.09 タウポ湖畔から見るタウポ

1975.12.09 タウポ湖畔から見るタウポ

1975.12.09 タウポ湖畔から見るタウポ

 

9.写真に残る湖、沼、池など

[21]ニュージーランド① 北島(North Island)1

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年12月3日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

カラピロ湖

12月8日(月) 快晴

午前10時半に出発し、仙台に似た感じのケンブリッジ(Cambridge)を通り、カラピロ湖(Lake Karapiro)を右に見てティラウ(Tirau)まで走る。

1975.12.08 カラピロ湖

1975.12.08 カラピロ湖

ロトルア湖

いつしかフィッツジェラルド・グレードも過ぎ、再び日射しは強く、両サイドには牧場が広がる中を走り、長い坂を終えると前方の下方に不意に青い湖が現れる。

ロトルア湖(Lake Rotorua)だが、予想外に小さい。

 一気に下って湖畔から眺めると、中に浮かぶモコイア島(Mokoiwa island)が まるで突き出した半島の様に大きく見える。

1975.12.08 ロトルア湖

1975.12.08 ロトルア湖とモコイア島

1975.12.08 ロトルア湖に浮かぶモコイア島

1975.12.08 ロトルア

 

 

8.写真に残る峠、最高所、最高地点 など

[31]ニュージーランド

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年7月1日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

North Island(北 島)

《 Waithi Saddle(ワイトゥヒ峠) 》

12月12日(金) 曇りのち晴れ

トゥーランギ(Turangi)を抜け、トカアヌ(Tokaanu)を過ぎて上りとなり、嫌な感じが頭をかすめるも、ワイヒビレッジ(Waihi Village)にあるLook Outから眺めたタウポ湖は「素晴らしい」の一言!!

嫌な感じが頭をかすめて上り始めたが、着いてみると予想外に楽で、頂点には「WAITUHI SADDLE 869m」とあり、正面には雲で頭を隠してはいたがルアペフ山が雄大な裾野を広げている。

晴れていたら どんなに素晴らしいだろうか?

ワイトゥヒ峠(Waituhi Saddle)を後に、殆ど車の通らない素晴らしい道路を一気に下り、マヌヌイ(Manunui)から国道4号線に入りタウマルヌイ(Taumarunui)に着く。

1975.12.12 Waithi Saddle(ワイトゥヒ峠)][869m]。見える裾野はMt.Ruapehu(ルアペフ山)

《 Waitaanga Saddle(ワイタンガ峠) 》

12月13日(土) 曇りのち雨

オフラ(Ohura)から約4㎞の所で国道40号線の舗装は無くなり、道路は そのきつさを示すかの様に、上の方にギザギザに見える。

と、同時に空からポツポツと来た雨。

濡れちゃ困るので合羽を着たやいなや、ザーッと降って来た。

雨の中、道は悪いし、坂はきついし、風は強いし 加えて水も無く、とんでもない状況で自転車を引っ張って歩くわけだが、行けども行けども村らしいものは全く見当たらず、山にはシダの森が鬱蒼としている。

それでも、とうとう頂上に来た。

そして、そこには「WAITAANGA SADDLE 533m」とあった。

きつい はずだ!

1975.12.14 Waitaanga Saddle(ワイタンガ峠)[533m]

South Island (南 島)

《 Rai Saddle (レイ峠) 》と《 Whangamoa Saddle (ファンがモア峠) 》

12月20日(土) 晴れ(風強し)

ハブロック(Havelock)から国道6号線に入り、ネルソン(Nelson)に向かって走る。

昨日と打って変わって強い向かい風と上り坂が多く、加えて247mのレイ峠(Rai Saddle)と357mのファンガモア峠(Whangamore Saddle)の、高さこそ低いがまあまあの峠に悩まされた、とんでもない一日だった。

《 Rai Saddle (レイ峠)

1975.12.20 Rai Saddle(レイ峠)[247m]

《 Wangamoa Saddle(ファンガモア峠) 》

1975.12.20 Wangamoa Saddle(ファンガモア峠)[357m]

《 Spooners Saddle(スプーナーズ峠) 》と《 Hope Saddle(ホープ峠) 》

12月21日(日) 晴れ(風強し)

起きると物凄い風。

出るのを渋っていると、10時半になってしまった。

しかし、相も変わらず風はおさまらず10時45分でも吹いている。

《 Spooners Saddle(スプーナーズ峠) 》

余り気乗りはしなかったが、出て行くと今度はベルグローブ(Belgrove)を少し過ぎた所で、予想だにしなかった とんでもない坂があり、加えて向かい風。

自転車を押して歩くのだが、行けども行けどもつかない……。

頂上に着いた時には、「やっと着いた」と思ったくらいだ。

頂上には峠の名前を示す標識は無かったが見晴らし台があり、そこには見える範囲の地名が彫られた銅板(だと思うが)が設置されてあり、俺も眺望を楽しむ。

下方には、まだ坂にかかる前の道路、その向こうにはネルソン(Nelson)の街とタスマン湾(Tasman Bay)が薄く霞んで見え、これらを包むようにして森が広がっている。

※「頂上に着いた時には……」について、彼は後日に この頂上の名前を確認していたと

 ころ、「地図には『スプーナーズ峠(Spooners Saddle)』とあった」と輪行袋の中に居

 た私に教えてくれた。

 この事から、ブログの写真は「スプーナーズ峠」としてあるとの事。

1975.12.21 Spooners Saddle(スプーナーズ峠)にて[※440m]

《 Hope Saddle(ホープ峠) 》

ホープ峠(Hope Saddle)は標高634mと結構高く、相当にきつい坂を予想したためか それ程でもなく、上り坂よりも吹きつける風の方がきつかったくらいだ。

ホープ峠の正面にはネルソン湖国立公園(Nelson Lakes National Park)の山々が聳え立っている。

1975.12.21 Hope Saddle(ホープ峠)[634m]

《 Haast Pass(ハースト峠) 》

12月28日(日) 快晴

ハースト(Haast)に着き、ハースト川(Haast River)に沿って走る国道6号線を、今回の旅行で最後のヤマ場と思われるハースト峠(Haast Pass)に向かうべく、心もちハンドルを左へ切る。

「たかが563m」と、いつもの甘い考えでいたのが間違いで、サンダー・クリーク滝(Thunder Creek Falls)を右手に見てゲート・オブ・ハースト(Gates of Haast)まではそれ程でもなかったが、ゲート・オブ・ハーストを過ぎてからのきつさといったらない。

ゲート・オブ・ハーストからハースト峠までの殆どを、自転車を引っ張って歩いた様なものだ。

追い抜いて行った車が少し行った所で待っていて、「乗っていかないか」と言ってくれる時は物凄く嬉しいと同時に、「Thank you. But no.」と断るのが悪い気もする。

しかし、レインガ岬(Cape Reinga)を出て以来、今日まで全て自分の力で自転車を漕ぎ、押したり、引っ張ったりして来たし、これからも自分の力でスチュワート島(Stewart Island)まで行くつもりのため、この事を説明した上で感謝しつつも「Thank you. But no.」と言い続けてきた。

そして、相手は俺の気持ちを理解してくれ「気を付けて」、「良い旅行を」、「がんばれよ」などと声を掛け、握手して去って行くのだが、俺としては非常に気持ちが良い。

ハースト峠も近いのか勾配も緩やかになり、山には雪、左にはあれだけ大きかったハースト川が信じられないくらいに小さくなって流れ、その澄んだ水の美味さは格別だ。

そして、ハースト峠にやっと着いた。

ハーストから約63kmの距離にかかった時間は7時間45分。

このハースト峠を境にオタゴ(Otago)地方に入った。

※「澄んだ水の美味さは格別だ」について、彼はニュージーランドでは透きとおってい

 れば平気で川の水を飲んでいた。

 ちなみに、ハウェア湖畔の展望所には湖の水が引いてあり飲料用のカップが備え付け

 てあったほか、同所で会った団体旅行者の一人から「ワナカの水だ」と言って水筒の

 カップに注いで出していただいた水を飲んでいる。

1975.12.28 Haast Pass(ハースト峠)[563m]

1975.12.28 Haast Pass(ハースト峠)[563m]

《 THE NECK(ネック) 》

12月29日(月) 晴れ

ワナカ湖(Lake Wanaka)とマウント・アスパイアリング国立公園(Mount Aspiring National Park)、ハウェア湖(Lake Hawea)と素晴らしい風景が続く中を走るが、とんでもない道路のため舗装道路の有難さを身に染みて感じた一日でもあった。

走っている車は、殆ど全部と言って良いくらい後ろにキャンピングカーやモーターボートを引っ張り、土ボコリをモウモウと上げて走っている。

土ボコリをモウモウと上げて走る事については日本も同じだが、一つだけ極端な違いがある。

本当に信じられない事に、殆どの車は俺を中心に前後30~50m位を出来るだけスピードを落として、土ボコリが立たない様に走ってくれるのだ。

はっきり言って それ程の効果はないが、気分的には物凄く嬉しい。

日本では どちらかと言うと邪魔者扱いで、一度もスピードを緩めてもらった経験は無い。

ニュージーランドでは、自転車もれっきとした車と見てくれるみたいだ。

また、キャラバンカーに乗っている子供たちからも手を振られ、なんとなく気分が良い。

マウント・アスパイアリング国立公園の山々を水に映すワナカ湖畔を走り、ワナカ湖とハウェア湖の両湖を見る事が出来る標高405mのネック(THE NECK)を過ぎると、今度はハウェア湖だ。

1975.12.29 THE NECK[405m]にて

1975.12.29 THE NECKより見るLake Wanaka(ワナカ湖)

1975.12.29 THE NECKより見るLake Hawea(ハウェア湖 )

《 Crown Range Summit (クラウン レンジ山頂) 

12月30日(火) 晴れ

今日も昨日の続きで、早速 悪路に加え急勾配の上りが始まる。

自転車を引っ張って、右端を歩いたり左端を歩いたりしていると、グンとスピードを落とした車から、また後ろに引っ張られるキャンピングカーの中からも手を振られ、声が掛かる。

時々 振り返って見ると、国道89号線の上にはクッキリと自転車のタイヤの跡がついている。

引っ張り始めてから相当に時間も経ち、勾配も急に弱くなったのに伴いペダルを漕ぎ始めると、間もなく頂上に着いた。

着いてビックリ、標識には「SUMMIT CROWN RANGE 1120m」とある。

一昨日のハースト峠でヤマを越したと思ったのに、意外な落とし穴だ。

高さにして丁度2倍、きついはずだ。

しかし、日程が遅れていた事もあり、クロムウェル(Cromwell)に行く予定を距離が短いからとの理由で変更したのだから自業自得か。

それも、2人のオーストラリア人がワナカ(Wanaka)でアドバイスしてくれたにもかかわらず……。

1975.12.30 Crown Range Summit (クラウン レンジ山頂)[1120m]

1975.12.30 Crown Range Summit (クラウン レンジ山頂)[1120m]

 

7.写真に残る岬、崎、鼻 など

17ニュージーランド

文章については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2023年5月8日に公開したものと同一内容です。

なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。

◎北 島

レインガ岬

岬に立った1974年12月1日の彼の日記には次のように書かれている。

午前6時30分起床。

午前7時、Nさんの車でレインガ岬(Cape Reinga)に向かう。これは、シケのため仕事が出来ない事から、予定を変更して送って下さったもの。

Nさん・Iさんの両氏と共に、ここNew Zealandの最北端に位置し今回の出発地でもあるレインガ岬に着く。

車から降りると風雨が余りにも強かったが、先ず辺りを見学した後、運よくあった公衆便所の中で愛車を組み立てる。

「風が大変強いため、今日も泊まって行け」とNさんから言われ、お言葉に甘える事として殆どの荷物を持って帰っていただく。

そしてサイクリングを開始。 先ずは、最先端にある灯台まで行く。

そこにある方向指示標の一つに「TOKYO 〇〇〇〇km」と あるのを見た時、改めて俺は外国に来たんだと思う。

小雨まじりの強風の中、崖の上に立つ白い灯台。                                 

下に見える南太平洋(South Pacific Ocean)とタスマン海(Tasman Sea)がぶつかり合っている男性的な光景、振り返るとテ・ウェラヒ海岸(Te Werahi Beach)の白い砂浜が見える。

※NさんとIさんは日本のT漁業の現地駐在員。

※泊めていただくきっかけは、カイタイア空港のロビーに出て来た、搭乗したカイタ 

 イア便のパイロットとスチュワーデスから話し掛けられた事で、全く訳の分からない

 会話を行った際に話の中で宿泊先について聞かれるも、野宿するつもりだったため

 『決まっていない』と答えた事が要因だと思われる。

 野宿するつもりだとは想像も出来ずに心配してくれたクルーとNACカイタイア支店

 の職員の世話で、テ・カオ(Te Kao)に居られる日本のT漁業の現地駐在員の家に泊め

 て頂く事になってしまい驚くばかり」と話し、彼は今も感謝している。

 また、「駐在員の方には迷惑がられるかもと思いながらタクシーに乗っていたが、到

 着すると逆に歓迎された事も忘れられない」」とも話している。

 ちなみに、彼は「ニュージーランド縦断サイクリングにおいては、入国から出国まで

 良い思い出しかない」と、今も当時を思い出しては話している。

1975.12.01レインガ岬

1975.12.01レインガ岬

1975.12.01レインガ岬に立つレインガ岬灯台

1975.12.01レインガ岬灯台

◎南 島

スターリン  ポイント

1976年1月1日の彼の日記より。

オーシャン・ビーチ(Ocean Beach)を過ぎ、「A FRIENDRY WELCOME TO BLUFF」の歓迎標識を右に見て、ニュージーランド最南端の町ブラッフに入る。

風は物凄く強いが、まだ早いのでフェリー乗り場を探したり買物をしたりした後、道路の続くままに風に逆らって進むと……。

「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」の地点にて道路は無くなっていた。

緯度と経度を示す標識と一緒に、世界および国内の主要都市の方向指示標も付けられており、「1323km CAPE REINGA」・「STEWART ISLAND 35km」と、出発地と目的地のもある。

何時でもそうだが、こういう物を見ると「来たんだ」と同時に「もう終わりか」という寂しい気持ちも……。

1976.01.01スターリング ポイント

    1976.01.01スターリング ポイント。                          「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」 地点で道は無くなる

1976.01.01「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」の地点にて

1976.01.01南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」を示す標識

1976.01.01「1323km CAPE REINGA」と「Stewart Island 35km」の指示標

1976.01.03ブラッフに向かうフェリー「ワイルア」から見るスターリング・ポイント。
右に見える白と赤の建物は「スターリング・ポイント灯台(Stirling Point Lighthouse)」

 ※「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒の地点について、彼は「現在の地図にはス 

  ターリング・ポイント(Stirling Point)と表記されている」と、「ニュージーランド

  断サイクリング1975.12.-’76.1」のブログを書く際に調べた結果を私に教えてくれ

  た。

  このほか距離についても、「CAPE REINGAは1323kmから1403kmに、LONDONは 

  18912kmから18958kmに修正されている」と教えてくれた。

※「スターリング・ポイント灯台」については偶然に写ったもので、彼はその存在すら

  全く知らず。 「フェリーから見えた時点でも灯台とは思っていなかった」との事

     で、「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」のブログを書く際に写真

  を見て調べ、初めて知ったと私に教えてくれた。

※なお、彼は「スターリング・ポイントの名前を知ったので、これを使用した」と、私

    に話しています。