17.写真に残る宿泊場所および施設など(※市町村名は2026年3月現在)
宿泊場所について、彼はそれほど重視していなかったことから写真は殆ど無く、残る写真においても閉業している施設が多くあったそうです。
彼は、野宿についてはバス停、鉄道の駅や公共機関に於いては誰にでも目のつく場所で行い、宿泊施設を利用する際には「安価」で私が「雨風をしのげる場所」がある施設を選んでいました。
野宿の際は、碁本的に午前6時前には出発しており、バス停や鉄道駅に於いては始発便と最終便のからみもあり、始発の場合は出発する最低でも60分前までには椅子などの移動した物は全て元通りにした上で、すぐに出発できるよう荷物を整理して私を舎外に出しており、最終便の場合は出発してから最低でも30分は荷物をほどかないほか、私は人が誰も居なくなるまで中には入れてもらえませんでした。
なお、公共機関での野宿に於いては、正面玄関を主とした最も使途の目につくと思われる場所で、雨風をしのげる場所を利用させていただきました。
ちなみに、彼は「野宿・宿泊施設のいずれにも悪い思い出は無い」と言っています。
※内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知
った」……そして残った』で2026年6月26日に公開したものと同一内容です。
※ニュージーランドについては、はてなブログの別ブログとして公開している「ニ
ュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から殆どを引用していますの
で、こちらも見ていただければ幸いです。
[27] ニュー・ジーランド② 北 島-2 オークランド( Auckland )
《 ローヤル・インターナショナル ホテル( Royal International Hotel ) 》
宿泊した日に宿泊した、ダウンタウンにあったホテルから見る夜景です。

…Auckland

…Auckland

…Auckland
《 オークランド ユースホステル( Auckland Youth Hostel ) 》
彼の1975年12月6日の記録より
メインのクイーンストリート(Queen street)をわざと通らず、裏道を通ってオークランドユースホステルに入る。
と言っても、本当は「入れた」だが。
このユースホステルで、ワーキングホリデーでオーストラリアで5ヵ月間生活していたと言う、日本人のAさんに親切にして貰う。
Aさんは、明日カイタイアへ向かうとの事。
もう一人 日本の女性を見たが、彼女は満員のため断られ荷物を持って出て行った。
ユースホステルで料金1$50¢と毛布30¢の計1$80¢を払ってベッドに荷物を運ぶ。ただし、食事は無し。
ぺアレントが物凄く親切な人で、自転車を物置の様な所に入れてしまい鍵まで掛けてくれた。
テ・カオ以来で日本人と話す。

私は左下に見える格納庫で一夜を快適に過ごしました…Auckland


《 レイルトン ホテル( The Railton Hotel ) 》※2泊しました
彼の1976年1月8日の記録より
タクシーのドライバーは40歳位の小母さんだったが、いろいろと話して楽しかった。
助手席に乗り「レイルトン・ホテル(Railton Hotel)へお願いします」と何度口で言っても理解してもらえず、最後の手段の予約証を見せると直ぐに理解してくれた。
原因は「レイルトン」のアクセントであり、ホテルに向かう車中においては、運転する小母さんが納得するまでアクセントの反復練習が楽しく繰り返された。
そして、単語を話しているつもりでも、「アクセントの違いで全く理解してもらえない」事を身をもって体験すると共に、サイクリング中の事を思うとニュージーランドで出会った人達の優しさを改めて思った。
何時でもそうだが、分からない時は「分からない」と日本語で言っても通用したため、俺はどれだけ使ったか知れない。
ホテルに着き、2泊朝食付きで15$を支払い部屋に入る。


私は奥の青い輪行袋の中に入っています…Auckland

建つ レイルトンホテル(右手)と…Auckland ※1990.02.15個人で再訪した際に撮影

※前の写真を拡大したものです。 ※1990.02.15個人で再訪した際に撮影