11.写真に残る空港および航空機
空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については何らかの形でその旨を表示しています。
空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。
内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年1月21日に公開したものと同一内容です。
なお、この文章については、当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。
《 ウェリントン国際空港 》
1月8日(木) 曇り
1976年1月6日
クライストチャーチからウェリントンまで45分だが、飛行機に乗っていると時間の経つのは早く、これは未だ飛行機が珍しいからであろう。
ウェリントンに着いて、先ずは空港内のニュージーランド航空のカウンターで、10日に予約してある「オークランド発シンガポール便(シドニー経由)」のリコンファームをする。職員が「オークランドへ電話して欲しい」と言っているのは分かったが、どうすればよいのかわからないので「分からない」と適当に言ったら、職員が電話してくれ「OK Sir. Thank you」との返答だったので、俺も「Thank you」と返し安心して後にする。
次いで、両替所でUS300$をNZ284$47¢に交換。ここでは「20$ Or10$」と希望する紙幣の種類を聞かれたので、20$を希望する。空港でしたい事を終え、タクシーでピーポーズ・パレス・ホテル(Peoples Palace Hotel)に向かう。
1976年1月8日
午前8時に起床。8時15分に朝食。
今日はオークランドに入る。
いよいよ「終わりも近くなったなあ」と言う感じが強くなる。
部屋でボケーッとしていたらすぐに時間が来てしまい、10時にチェックアウトを行いタクシーで空港に向かう。
ウェリントン空港で、俺と同じ便でオークランドに行くと言う静岡県のOさんに会い、インバーカーギル以来で日本人と話す。
ウェリントンを歩いている時には、俺は日本人を一人も見る事はなかった。
ロビーに置かれた輪行袋に入った私と機内預け荷物は、「たまたま写っていただけ」
だそうです。
※以下の写真は家族旅行で行った際のものです。