ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

[17]オンガルー ⇒ マーティリー ⇒ オフラ ⇒ ワイタンガ

 

12月13日(土) 曇りのち雨

とんでもない一日だった。

 

日本では午前6時前後に出発と言うのが当たり前だったが、こちらに来てからは10時半の出発が当たり前となってしまった。

 

今日も予定どおり10時半に出発。

 

国道4号線から国道40号線に入った所で、でっかいザックを背負った二人連れの女の子から「Hello」と挨拶され、「Hello」と返す。

 

マーティリー(Matiere)まで順調に進み、ローリーが紹介状を書いてくれた友達のC・マッケンダー氏の家を捜すも分からなかったため後にする。

 

見上げると、何だか雲行きが怪しい。

怪しい、怪しいと思いつつもオフラ(Ofura)まで来た。

 

いつもなら先を急ぐのだが、昨晩と朝食をジャム一瓶で済ませざるをえなかったため食料を補給。

ここで買物しないと、あと30~50㎞は店が無い事だって ざらにあったからだ。

店で買物をし、ついでにビスケットとパンを食べる。

 

食べ終わって外に出ると、5~6人の子供が俺の自転車を取り巻いて「Very good」、

「Very nice push bike」と盛んにほめている。

ほめられるのは実に気持ちがいい。

そして、俺を見ると話し掛けて来た。

「ニッポンから来たの」(サイドバッグに付けた国旗から判断したのだろう)

「そう」

「ニッポンのどこに住んでいるの」

「フクイ」

「フクイってオフラより大きいの」

「うん、大きいよ」

「人はどれぐらいいるの」

「20万人くらい」と答えると、「ウォーッ」と歓声が上がる。

「いつ来たの」

「11月29日」

「どこからどこまで行くの」

「レインガ岬からスチュワート島まで」と言うと、

「ウオーッ」という さっきより一段と大きい歓声と共に、一同ビックリして面食らった様な顔をしていた。

しばらく話してから「じゃ、そろそろ出発するから」と言うと、子供達は自然に解散するが、このうち二人は「家の方向が同じだ」と言って途中まで一緒に走り、各々の家の近くまで来ると、「Good bye」と挨拶して別れる。

 

オフラから約4㎞の所で国道40号線の舗装は無くなり、道路は そのきつさを示すかの様に、上の方にギザギザに見える。

と、同時に空からポツポツと来た雨。

濡れちゃ困るので合羽を着たやいなや、ザーッと降って来た。

 

雨の中、道は悪いし、坂はきついし、風は強いし 加えて水も無く、とんでもない状況で自転車を引っ張って歩くわけだが、行けども行けども村らしいものは全く見当たらず、山にはシダの森が鬱蒼としている。

 

それでも、とうとう頂上に来た。

そして、そこには「WAITAANGA SADDLE 533m」とあった。きつい はずだ

ワイタンガ峠(1975.12.13)

少し行くとワイタンガ(Waitaanga)と言う小さな集落があり、この雨の中、もう どうしようもなく、又 先へ進む事も出来ず、目に入った小学校の物置を借りて野宿。

実に4時間半という時間を費やして進んだ距離は、たったの16㎞。

 

まず、水を飲んだが、数時間振りの水は何よりも美味い。

 

合羽を脱ぐと、服は外からしみ込んだ雨と かいた汗とでグッショリ。

物置の中は、迷惑が掛からないようにして広げられた、濡れた物で一杯である。

 

本日は、荒天のため無茶苦茶に寒し

 

なお、ワイタンガ峠に向かう途中の山の中。

「危ないかな」と思いつつ、一本の杭に自転車を立てかけて写真を撮ろうと道路の端でカメラを構えた途端、重さに耐えかねたのか杭が揺らいで自転車は視界から消えてしまい、見に行くと崖の下3m位の所に引っかかっていた。

消えた瞬間「これで旅は終わりか」と思うも、そんなことは言っておられず、先ず4個のバッグと寝袋を運び上げ、最後に自転車を引き上げたが、走行には問題ないことが分かり安心した。

 

しかし、この間の約2時間は悪夢であった。

※「シダの森」のシダとはファーン(Fern)の事。

※「サイドバッグに付けた国旗」について、サイドバッグには「小さい国旗」のほかに

 大きい文字で「NIPPON」、その下に小さい文字で「FUKUI」を張り付けてあった。

 「NIPPON」については切手にも記されていたため、彼は あえて「JAPAN」とは しな 

 かったが、当時のニュージーランドでは「NIPPON」という言葉は全く知られていな

 かったと思う。

 なお、「NIPPON」の文字はアイロンの熱で張り付けられていたため、途中で全て剝

 がれてしまったが、「FUKUI」は小さかったからか そのままだった。

※「杭に自転車を立てかけ」について、私にはスタンドが付けられておらず、「特別必

 要とも思われない」という考えの彼は、最期までつける事は無かった。

 しかし、彼はこれを教訓に以後は慎重に場所を選び、状況を把握かつ確認してから立 

 てかけていたほか、場合によっては道路に寝かせて写真を撮っていた。