12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)
港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。
なお、船舶は実際に利用したものです。
なお、この文章については当ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。
内容については、はてなブログの別ブログ『「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った』で2024年5月1日に公開したものと同一内容です。
《 ウェリントン港 》
1975年12月19日。
午前10時15分。
ルイスに見送られてオタキを出発。
無理だろうとは思うが、午後2時20分発のフェリーに乗る予定で首都のウェリントン(Wellington)に向かう。
国道1号線は、ポリルア(Porirua)で自然とモーターウェイになっていたため、今度は引き返して一時的に離れ、再び1号線に戻るとウェリントンだ。
「ウィンディ・ウェリントン」とも言われるだけあって風が強く、真青な空の中、白い雲が物凄いスピードで飛んで行く。珍しく追い風に助けられた事もあって、約80kmを丁度4時間という予想外のハイスピードで走ることができ、出港予定時間5分前の午後2時15分にフェリーターミナルに到着。
俺と自転車で3$75¢払ってフェリーに乗り込むが、この時間で切符を買えたこと自体が信じられない。
フェリーに自転車と一緒に乗ると、船内にも線路が敷いてあり、しっかりと貨車が積載されているのに驚く。
デッキに上がって30分後の午後2時50分にフェリーは港を離れ、俺は北島を後にして南島に向かう。
※「国道1号線は、ポリルアで自然とモーターウェイになっていたため、今度は引き返して……」については、オークランドのハーバーブリッジでの経験から、この時の彼は冷静に対応していた。
※ルイスは亡くなりましたが、彼は今も家族と付き合っており、2008年には長女夫婦と孫一家、今年の2月には2008年に来たひ孫と友達が福井の私達の家に遊びに来ました。