ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

[3]シドニ ⇒ オークランド

 

11月29日(土) 晴れ

オレンジジュース支給。

午前6時30分(シドニー時間)に軽食。

     

兄から借りたペンタックスで写真を適当に写すが、始めは久し振りのせいか距離の設定を忘れたり、スイッチを入れなかったりで滅茶苦茶である。

 

シドニーは街全体が真っ赤と言っても過言でないほど、家の屋根は真っ赤である。

また、オーストラリア大陸の大きさ、飛行機から見た星の綺麗さなど素晴らしいものである。

 

昨日パーサーから「シドニー空港に到着したら一旦入国して荷物を取り、荷物を受取った上で再度チェックインして下さい」と言われた記憶があり、暑い中を税関の長い列に並んでいた。

順番が来たため、会話力ゼロで英単語も殆ど知らないにも関わらず質問に答えていると、担当者は「あなたは乗り継ぎ客(transit)だから入国する必要はない。荷物はそのままオークランドに届くので戻って下さい」と言われたほか、出発ロビーにあるカンタス航空のカウンターでチェックインするよう教えてくれた。

 

なお、税関で順番を待っている時、現地の方は大人も殆どが半ズボン姿であったのに驚いた。

※中学時代から英語が嫌いで、「授業中は ひたすら終鈴が鳴るのを待っていた」環境に 

 身を置いていた彼は、「英会話力はゼロ、英単語も殆ど知らない」という状況で出発。

 そして、今回の旅行で最も心配していたのが「シドニーでの乗り継ぎ」だった。

オーストラリア上空にて(1975.11.29)

ニュージーランド入国が近づくにつれ、入国カードを書くために一生懸命 勉強せざるを得なくなる。

常に前席のポケットには和英と英和の2冊の辞書および英会話の本が入っている。

英語がわからない俺にとっては必死である。

とんだ所で英訳をせねばならない様になるとは思っても見ず、離陸直後に貰えればと思った。

 

分かった範囲で書き終えて窓の外を見ると、そこには緑の大地が広がっており、着陸まであと僅かだからか、走っている車が思ったより大きく見えたのは意外だった。

持って行った英会話の本。実際的な内容で非常に役立った

オークランド空港にて在ニュージーランドのAさんに お世話になる。

この便でオークランド空港に着いた日本人は2名のみで、税関に向かう通路を歩いている時にAさんから掛けられた言葉は「日本の方ですか」だった。

 

入国時の質問は全く分からなかったが、A さんが通訳して全て代わりに答えて下さったお蔭で無事に入国する事が出来た。

 

入国時には、税関で「自転車を持って帰る事」の確認はあったが、ガイドブックにあった「靴や衣類に付着した土も指摘される」事は無かった。

 

空港から宿泊先のローヤル・インターナショナルホテルまでAさんの保証人に送って頂く。保証人はAさんのニュージーランド人の奥様の父親で、会社の副社長との事。

今日はサウスパシフィック ホテルに泊まられると聞いたので訪ねるも(午後7時と9時)居られず。

 

ホテルから すぐのアルバート公園へ行く。実に奇麗である。

適当に市内を約1時間くらい歩くが、公園もそうであるが全くゴミが目につかず、日本では信じられない事である。

 

オークランドは人口70万の都市である。

しかし、大きな建物は予想以上に少なく、人通りも少なく、交通量は少ないうえスピードは出さず、家一軒見ても全てがそうであるように実にゆったりしている。

 

入国して1日目。一人で歩いた限りでは、日本人ほど外国人を珍しがらないと思った。

 

第一印象は「やはり来てよかった」。

 

早速 思ったのが英会話力ゼロであるため、現地の方が何を言っているのか分からない。

初めて外国で話した言葉は、シドニー空港での「 I'm transit 」。

 

ホテルは707号室で、ツインの意外と良い部屋だった。

ホテルにて50米ドルを両替する。47NZドル也。

 

なお、シドニー空港は大きかったがオークランド空港は大変小さく、こう見ると羽田空港は結構大きいと思う。

また、飛行機が全く揺れない(一番揺れないのではないか)という事を知った。

※和英辞書は出発前日に寮で同期のTと話していた際、「これは絶対に持って行け」と 

 言われ渡されたもので、旅行において不可欠の物となった。

アルバート公園にて(1976.01.08)

ホテルから見た夜のオークランド市街(1975.11.29)

ホテルから見た夜のオークランド市街(1975.11.29)