ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-'76.1

「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った/サイクリングで駆け巡った彼との45年間

[26]ロングフォード ⇒ マーチソン ⇒ ニュートン・フラット ⇒ イナングフア ⇒ リーフトン ⇒ ロトコフ ⇒ マイマイ

 

12月22日(月) 晴れ時々曇り(風強し)

午前6時半。羊の鳴き声で起こされる。

テントから首を出して見ると、後ろの牧場では羊が群れをなして俺のテントを見ている。

一旦 起きたのだが、また寝たため今日も出発は10時半。

 

走り始めて間もなく、馬に乗った女の子が「Hello」と声を掛けて駆け抜けて行った。

 

牧場が続く中マーチソン、ニュートン・フラット(Newton Flat)と走り、食料を買い込む予定のライル(Lyell)に入った。

 

しかし、ライルは地図にもあり地名の標識もあったのだが、国道6号線から見える範囲には一軒の家も見当たらず。

結局アイアン橋(Iron Brdge)の下を流れるブルナー川で顔を洗い、ボトルの水を入れ替えただけで終わってしまった。

 

ライルから約20km走ったイナングフアで(Inangahua)で買物をし、店の前にあった郵便局で一昨日 書いた葉書を出す。

3通で27¢、暮れには着くだろう。

ここでウェストポート(Westport)に抜けて海岸沿いを走る予定を大幅に変更し、国道6号線から分かれて国道69号線をリーフトン(Reefton)に向かう。

 

国道69号線は内陸部にあるため相当にきつい道を予想していたが、見事に外れて平坦そのもの。

これで、向かい風でさえなかったら快適そのものだろう。

 

途中、ロトコフ(Rotokoh)では一人の牧童に連れられた牛の群れが道路を占領し、車がゆっくりゆっくりと牛の後について走っている。

俺はというと、遠くからこの のどかな風景を眺める。

 

今日はロングフォードを出てから、予定を変更してリーフトンに抜け、ここマイマイまで ずっと横に川を見て走る意外と気持ちの良いコースだ。

リーフトン(1975.12.22)

リーフトン(1975.12.22)

現在、マイマイ(Maimai)の鉄道の駅でこれを書いている。

この駅もターリキの駅と同じで、小屋があるだけ。

 

……時は過ぎて、現在 深夜の12時半。

今度はベッドの上で書いている。

 

数時間前、駅でこれを書いていると、カークランドさんが「俺はビル。牧場のフェンスを直していたら駅に行くのが見えたので来たんだが、シャワーでも浴びに来ないか。家はすぐそこだから」とわざわざ言いに来てくれ、俺は二つ返事で好意に甘える事とし、道路に停められていた彼の車について行く。

 

家に着くと、奥さんのエリスンを紹介された後、タウポ以来でシャワーを浴びる。

シャワー室から出て「どうお礼を言おうか」と、皆の居る部屋のドアの前で考えていると、不意にドアが開いてビルが中に入れと言ってくれた。

部屋に入ると、中では暖炉が赤々と燃え、シャワー上がりの俺には暑いくらいだ。

 

食堂ではカークランドさん夫婦が、隣の老夫婦と その孫と思われる10歳位の女の子といろいろと話しており、俺もすぐに話の中に入れられる。

 

でっかいコップにビールを3杯くらい飲んだところで、ビルが「腹がへってるだろ」と聞くので「ええ」と答えると夕食の用意をしてくれた上、ニュージーランドウイスキーだと言ってグラスに注いでくれる。

 

食後、辞書を片手にウイスキーを飲みながら、俺の事、日本の事、このサイクリングの事、俺が見たニュージーランドの事を話す。

話が弾んで、終わったのは深夜12時ジャスト。

 

そして今、俺は話している途中でエリスンから「あなたのベッドはここよ」と教えられた部屋のベッドでこれを書いている。

 

リーフトンへの変更は、予想外の嬉しい結果をもたらしてくれたコース変更になった。

 

そして、何だかんだしているうちに午前2時になってしまった。

マイマイのカークランドさん宅にて、オ・ヤ・ス・ミ。

※「ブルナー川で顔を洗い、ボトルの水を入れ替えた……」について、この頃には、彼

 は「川の水でも流れが早く濁ってなければ衛生面など特に気にする必要はない」と思

 っていた。

※「暖炉が赤々と燃え……」について、暖炉を初めて経験した彼は翌朝「これほど暖か

 いというより、暑いとは思わなかった」と私に話したほか、「一寸したゴミは暖炉に

 放り込んで燃やしていた」とも話した。

 なお、彼の暖炉のイメージは「応接間や客間に設置されている優雅な装飾品」だった

 だけに、実生活に密着している事に驚いていた。